總持寺

所在地 神奈川県横浜市鶴見区鶴見2丁目1−1
曹洞宗の大本山として県下有数の規模を持つ寺院です。創建は能登(石川県輪島)でしたが、1898年の火災を機に横浜へ移転しています[1]。鶴見川右岸側の下末吉台地東端丘陵上に位置し、広大な敷地の中に多数の伽藍・学校施設などが点在しています。
訪問日 2025年12月

方位志るべ塔

奉献/建立 大正五年七月[1916年7月]
石工銘 東京青山 石勝
三門から入ってすぐ左手の梅壽庵手前に置かれています。角柱の頂部平面部に干支で方向が刻まれており、角柱側面に "方位志るべ" と彫られています。
神田信盛堂は、現在の千代田区神田小川町にあった商業施設の中で営業していた店舗の一つだったようです[10][11]

芭蕉庵桃青翁像碑

奉献/建立 大正十二年十一月[1923年11月]
石工銘 東京市外亀有駅石匠 森田常作
三門南側の小高く木に覆われた場所にあります。芭蕉没後230年を記念して建立された碑です[9]。正面左下に"森田春鶴刻"とあり、背面にも石工銘があることから、春鶴は常作の俳号と思われます(背面には春鶴の句も彫られています)。

大阪事件記念碑

奉献/建立 昭和六歳次辛未十一月[1931年11月]
石工銘 下館町 草野
三門南側の小高く木に覆われた場所にあります。大阪事件とは、明治18(1885)年に旧自由党左派が朝鮮でクーデターを起こそうとした事件です。事件は摘発され未遂に終わりましたが、関係者や遺族が事件の記念として建立した碑です[8]

歐州戰亂殉難會員之碑

奉献/建立 大正七年十二月[1918年12月]
石工銘 大本山総持寺御用達 須田銀次郎
三門南側の小高く木に覆われた場所にあります。第一次世界大戦時に、欧州航路運行中にドイツUボートに撃沈された三隻の輸送船乗務員を慰霊するために、日本郵政の労働組合が建立した碑です[7]

双魂碑

奉献/建立 昭和八年十一月[1933年11月]
石工銘 大本山総持寺御用達 須田銀次郎
三門南側の小高く木に覆われた場所にあります。「海洋塾機関紙[6]」によれば、小松原定吉氏は、日本郵船最初の専務となった人で、坂本鍵造も取締役を務めた人だったようです。

ラッド博士之碑

奉献/建立 大正十一年二月[1922年2月]
石工銘 東京青山 石勝
三門南側の小高く木に覆われた場所にあります。碑にあるラッド博士は、米国人のジョージ・トランブル・ラッド氏です。明治25年に来日し、日本の心理学の基盤となる業績を残した人で、米国で逝去後、位牌の一部が総持寺に埋葬されているそうです[5]

自由党追遠碑

奉献/建立 大正十年一月[1921年1月]
石工銘 東京谷中 高橋金平
三門南側の小高く木に覆われた場所にあります。自由党は、明治14(1881)年に結成された日本初の政党で、現在の自由民主党の源流ともなっています。背面には、初代総裁だった板垣退助の名前も見えます。

毎日新聞慰霊碑

奉献/建立 昭和二十五年三月[1950年3月]
石工銘 鶴見 内藤石材店
参道の左側で平行して鶴見大学へ続く道の途中左側に置かれています。
毎日新聞の物故販売店主を慰霊するための碑[2]で、背面には碑文の撰者として毎日新聞の販売担当役員だった七海又三郎[3]の名が記されています。
総持寺門前で初代留五郎の孫が開業した内藤石材が担当しています。