中和田公園

所在地 神奈川県横浜市泉区和泉中央南5丁目1
長後街道=柏尾通り大山道(現県道22号)と鎌倉街道のバイパス?として使われたという「いくさ道(現環状4号線)」の交差点にある公園です。「今なお語りつがれる 中和田公園の怪異[1]」によれば、日露戦役の戦没者をまつる招魂社という神社があったそうです。
現在、南西側に3基、東側に2基の石碑が置かれています。すべての碑が柵に囲まれており、近づいて碑文・銘を確認/撮影できないのが残念。
訪問日 2025年10月,2026年5月

忠魂碑

奉献/建立 昭和二十九年十一月[1954年11月]
石工銘 広石 佐藤勉
公園のほぼ中央で入口(北)側を向いて建てられています。「東京湾要塞[2]」によれば、西南戦争から大東亜戦争までの戦没者236柱を合祀する忠魂碑として再建されました。
碑の背後には折れた碑の残材が置かれており、同じく「東京湾要塞[3]」によれば、明治四十貳年に立てられた先代の碑だそうです。

石井廣助君之碑

奉献/建立 明治三十八年十一月[1905年11月]
石工銘 田淵富蔵
忠魂碑の右横に置かれた碑です。「東京湾要塞[4]」によれば、日露戦争に従軍して戦死された石井廣助さんの慰霊碑です。また、「JINさんの陽蜂農遠日記[5]」によれば、廣助氏は神奈川県会議長等を勤めた石井仁左衛門の息子だったようです。

山田先生紀徳之碑

奉献/建立 大正三年九月[1914年9月]
石工銘 望月久吉
東側に西向きに立てられている碑の右側です。「松坡文庫研究会[6]」によると、長く中和田小学校校長を務めた山田専成(もろなり)氏の退職を機に、その門人たちが先生の徳を称えるために碑を建てたそうです。