深沢医王寺(醫王寺)

所在地 東京都世田谷区深沢6丁目14−2
吞川は荏原台地の北端谷戸から南東方向へ流れていますが、その水源付近が深い沢地だったために深沢という地名が付いています[1]。その源流付近の谷戸の出口に寺院があります。
訪問日 2024年10月,2026年5月

敷石供養塔

奉献/建立 嘉永五壬子年二月[1852年2月]
石工銘 神地 傳右衛門
本殿右手前に並んでいる石碑群の中の一つです。背面左側に、石畳の有効性を詠んだ歌が刻まれているそうです[2]
石工は「神地」から松原傳右衛門と思われます。

三田文太郎墓碑

奉献/建立 明治三十七年九月[1904年9月]
石工銘 碑文谷 山﨑豊治郎
境内東側に広がる墓地の中に置かれています。背面の碑文がほとんど読めませんでしたが、奉納時期から日露戦役の戦没者の墓碑と思われます。
山崎は目黒区の碑文谷を拠点とした石工です。その活動初期の作で、名前が「豊治郎」となっているのが珍しいです(以降の作は「豊次郎」)。