三輪熊野神社

所在地 東京都町田市三輪町1925
鶴川街道の岡上駐在所前交差点から東へ少し入ったところに鎮座しています。周囲は住宅開発が進んでいますが、この周辺は自然公園もあり、緑が残されています。
上三輪の鎮守がこの熊野神社で、下三輪の鎮守が 椙山神社だったため[1]、上三輪熊野神社とも呼ばれています。

狛犬

奉献/建立 大正十五年四月[1926年4月]
石工銘 登戸 吉沢耕石
狛犬タイプ 尾流れ(左:珠,右:子)
頭部左右と尾部の巻きロールが吉沢耕石の特徴を良く出していますが、耳が埋もれて形状がよくわかりません。

狛犬

奉献/建立 天保十四癸卯歳十二月[1843年12月]
石工銘 不明
狛犬タイプ 尾流れ
拝殿の左横と右横に先代の狛犬がそれぞれ拝殿の方を向いて置かれていました。
どちらも風化・欠損が著しく、左側は顔が焦げているようです。

石燈籠

奉献/建立 大正十五年四月[1926年4月]
石工銘 吉沢耕石
狛犬と同時期、同石工による建立です。キャスター型(猫足)の台座が見事です。

大典紀念碑

奉献/建立 大正四年九月[1915年9月]
石工銘 内藤慶雲
入口入ってすぐ右手に石碑がいくつか建てられており、その中の一つです。建立年から大正天皇の即位を紀念した碑のようです。
「農桑」という文字や隣の「蚕蛹供養碑」などから、このあたりで養蚕が盛んだったことが伺えます。
(慶雲作はこれだけで、以降の石造物は全て吉沢耕石が担当しています)

地神塔

奉献/建立 文久(三癸)亥十一月[1863年11月]
石工銘 相州愛甲郡煤ヶ谷村 城所權右衛門/嘉吉
神社敷地の東南角に西向きで置かれています。側面の奉納年銘が読みづらいのですが、「東京都の庚申塔[4]」から引用しています。
石工の一人は、ちょうど20年前に町田天満宮の地神塔を作っています。

一之鳥居

奉献/建立 大正十五年九月[1926年9月]
石工銘 吉沢(耕)石
石工銘がかなり摩耗していますが、かろうじて読める部分と建立年から吉沢耕石と思われます。
龍が周りを囲んでいる扁額が見事です。