宏善寺

所在地 東京都町田市本町田3409
江戸~明治まで袋橋で鶴見川を越えた鎌倉街道は、そのまま鶴見川右岸(南)側の丘陵内へ入り、薬師池の横を通って恩田川に沿って本町田宿へ続いていましたが、その街道沿いに寺院が位置していました[4]
訪問日 2025年11月,2025年12月

題目塔

奉献/建立 文政第六龍輯癸未十一月[1823年11月]
石工銘 登戸 伊勢屋藤吉
本堂左手前の七面堂の前に置かれた題目塔で、側面に「七面大明神安置」と書かれています。(七面大明神は、日蓮宗において法華経を守護するとされる女神とされています[2])。「輯」は「集」の異体字で、「龍集」で年/歳を意味しています。
石工は登戸吉澤初代の藤吉です。

題目塔

奉献/建立 天明元年歳舎(辛丑)十月[1781年99月]
石工銘 (信州)高遠小原村 久太郎/(甚左)衛門
塔が植込みの中に置かれ、台石が一部隠れてしまっていますが、通路側に面したところに石工銘が残されていました。ただし摩耗と剥落があるため、「石仏探訪[3]」の記載を参考にしています(列記された石工の片方は、門前の天明四年の題目塔と同じと思われます)。

題目塔

奉献/建立 天明四甲𫝕年十月[1784年10月]
石工銘 信州高遠小原村 伊東甚左衛門
寺院入口山門前左手に置かれた題目塔です。台石の石工銘は摩耗が進んでおり、「甚右衛門」かも知れません(となると、天明元年の題目塔の石工も「甚右衛門」となりますが)