Unreachable 吉六

いくつかの吉六作品は、その存在を現地で直接確認することができませんでした。 屋外に置かれた石造物の宿命として、破損→危険→撤去されたものもあり、 また現地に入ることができなくなっているものもありました。
下記がその一覧となります。

作品リスト(28件)

No. 奉献/建立年月 石造物 神社/寺院 Unreachable な理由
11,補16 1793年9月 寛政五癸丑歳九月 鳥居残材 寺谷熊野神社 拝殿左にある祠の左隅に、 鳥居扁額のみ残っています。 鳥居本体の残欠は確認できませんでした。
系22 1802年 享和二年 鳥居 馬場神明社 狛犬足元に扁額が、 境内片隅に鳥居残材が置かれていましたが、 吉六作と推測できる石工銘、建立年銘ともに確認できませんでした。
系28 1808年 文化五年 燈籠 綱島諏訪神社 文化五年の燈籠の存在は確認できませんでした。 (天保十年の石灯籠はあります)
系33 1812年 文化九年 石水盤 円真寺 飯島五郎右衛門の石水盤の存在は確認できませんでした。
港8 1814年 文化十一年 石鳥居 若雷神社 文化十一年の鳥居は確認できませんでした。
44 1821年9月 文政四年九月 伝・筧播磨守像 川向水神社 像は拝殿内部に置かれており、外からは確認できませんでした。
50 1828年2月 文政十一戊子二月 境内社・中町稲荷社鳥居 鶴見神社 新しい鳥居が再建されていました。
系59 1838年 天保九年 弘法大師塔 市ヶ尾東福寺 天保六年の弘法大師塔は存在するので、 資料はそれと見誤っている可能性があります。
68 1838年 天保九年 石水盤 正教寺 寺院境内の整備が進んでおり、 吉六の水盤含む多くの石造物が無くなっています。
70 1838年 天保九年 鳥居 正教寺 寺院境内の整備が進んでおり、 多くの石造物が無くなっており、 稲荷社の前にあったとされる鳥居も現在存在しません。
系77 1846年 弘化三年 土台石 大綱金比羅神社 「土台石」がどのようなものか不明ということもあり、 それらしきものは確認できませんでした。
90,補20 1848年11月 弘化五年十一月 石鳥居 品濃白旗神社 平成二十四年に鳥居が再建され、 吉六の鳥居は撤去されました(残材も残っていません)
1850年 嘉永三年 常夜燈 潮田神社 嘉永三年の灯籠は確認できませんでした。
109 1872年8月 明治五壬申八月 狐像台座 琴平神社(金子稲荷大明神) 廃社となり、像も含めて撤去されています。 また、金子稲荷大明神は琴平神社とは無関係でした。
112 1874年2月 明治七甲戌年二月 鳥居 黒鶴稲荷神社 令和になって建て替えられ、 その際に旧鳥居は撤去されたようです。
系94 1874年 明治七年 無縁塔 円真寺 無縁塔(万霊塔)の存在は確認できませんでした。
補9 1878年4月 明治十一寅年四月 飯田家墓碑 飯田家 墓地は飯田家屋敷の裏手奥にあり、立ち入りが困難でした。
123 1880年 明治十三年 神社碑 鶴見神社 明治十三年の神社碑の存在は確認できませんでした。
系99 1880年 明治十三年 経典供養塔 正教寺 寺院境内の整備が進んでおり、 吉六の経典供養塔含む多くの石造物が無くなっています。
系100 1880年 明治十三年 石水盤 綱島諏訪神社 明治十三年の石水盤の存在は確認できませんでした。
144 1887年4月 明治二十年四月 石川暎作君碑 谷中霊園 墓自体は合同墓に合葬され、残っていません。 吉六作の頌徳碑は、現在西会津のふるさと自慢館に 移設されています。(あまりに遠いので unreachableリストに入れました)
補14 1887年4月 明治二十年四月 狛犬 岸根杉山神社 狛犬は岸根山王山公園の奥にあると思われます。 現在立ち入り禁止となっているため、 確認することができません[1]
146 1887年9月 明治二十年九月 石水盤 朝陽山八幡宮 境内は普段は立ち入り禁止となっているため、 石水盤を確認することはできません。
158 1894年3月 明治二十七年三月 幟立 大熊杉山神社 平成に再建され、 元の幟立は撤去されていました。
190 不明 碑石台 三会寺 お寺の方の話によると、 境内整備の際に撤去されたようです。
系135 不明 鳥居 三保杉山神社 吉六の鳥居があったとされていますが、 再建されたようで、残欠含め確認できません。
系140 不明 鳥居 獅子ヶ谷下神明社 飯島五良右衛門の鳥居があったとされていますが、 鳥居自体も撤去されたようで、確認できていません。
系145 不明 燈籠残欠 大曽根八幡神社 燈籠の残欠らしきものはありましたが、 石工銘・建立年銘ともに確認できませんでした。

  • ※No:XX は「鶴見村石工 飯島吉六(謝辞[1])」の番号です
  • ※No:補XX は「鶴見村石工 飯島吉六 補遺(謝辞[2])」の番号です
  • ※No:系XX は「鶴見石工の系譜 付表(謝辞[5])」の番号です
  • ※No:鶴 は「鶴見の石碑(謝辞[7])」の記載です

参考にさせていただいたリンク