正教寺
| 所在地 | 神奈川県川崎市幸区紺屋町72 |
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| 府中街道の河原町歩道橋交差点から西へ 600mほど進み、第二京浜(国道一号)を越えたところに寺院入口が面しています。 広場のような境内で、墓地がすぐ横に広がっています。 「川崎市石造物調査報告書(謝辞[11])」によれば、ここには13基の石造物がありましたが(吉六の鳥居は記載無し)、境内の整備につれて数が減っているようで、現在(2024年3月)では宝篋印塔3基しか残っていませんでした。(2023年5月時点で存在した石水盤や、こちらのブログ[1]にある狐像などいずれも現在は存在しません) 特に吉六の手洗鉢(天保九年)、稲荷社鳥居(天保九年)、経典供養塔(明治十三年)が確認できないのは残念です。 |
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| 訪問日 | 2023年5月,2024年3月 |
石水盤
| 奉献/建立 | 天保二辛卯十二月[1831年12月] |
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| 石工銘 | 不明 |
| 境内左手の墓地の中にありましたが、現在無くなっています。吉六の石水盤ではなかったという確認のため、あえて記録を残しています。 正面の紋は「井桁に橘」と呼ばれる日蓮宗の宗紋だったようです。 |
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